〜音響妃♾️OTOHIme♾️プロジェクト〜

カタカムナウタヒ28首 深掘編

おはようございます🌞

本日は、皆さまに28首の深堀をお伝えいたします。

イキノヒトツネ イククヒノツチ
カグナツチ イハサクネサク
イハツツヌヲ


たったひとつの種が、成長して生きた土になり、肥えた土となる。植物が芽生え、生命が成長する。

という内容のウタヒです。

研究者の解説は、

【用語の訳】
○イキノ
イがキ(発生)しノ(変遷)し、

○ヒトツネ
個々の粒子となったもののネ(根)、つまりアマナのこと。

○イククヒ
イク(生命を保つ為の)クヒ(生きる為の自由なヒ)が給与されます。イククヒは生命の支えです。イキ(生命力)をノ(持続)するアマナのチカラがイククヒノツチです。

○ノツチ
ノ(変遷)していくツ(個々)のチ(持続)。つまりイククヒによって色々なものが変遷して持続されていくこと。因みに、アマナのチカラにはイツノタテカムもあります。イツ(イカツ)にノ(変遷)すれば、タテ(正反に出て)カムは、アワ(チカラ)となり、アワから生まれるサヌキのチカラともなります。

○カクナツチ
カのク(自由)なナ(くり返し)のツ(個々)のチ(持続)になります。

○イハサク
イのハ(正反)がサかれてク(自由に分裂発生する)のは

○ネサク
そのネ(アマナ)がサク(サによって自由に裂ける)ことであって、第27首で「アマナクニヌシ ワレムスヒ」といったことの説明に当たります。

○イハツツヌヲ
それによってイハのツ(個々)がツ(個々)のヌ(目に見えぬ)ヲ(四相をもつもの)になります。ツヌオとはイホ クニツマリ ヤヘモコロのことであり、タクリカナヤマ ウヅメクソのことです。

●イキノ

”あらゆる生命体を構成する最小単位の粒子=生命現象化粒子の「イ」がエネルギーをもって発生(キ)し、変還(ノ)して”イキ=生命粒子「イ」の発生という読みをする方が多いようです。
”イキ=生命現象粒子「イ」が「キ」気・エネルギーを以って発生”

●ヒトツ ネ=ひとつの根になる
もう完全に音の響きを現代日本語で解釈した感じです。
ヒトツ=ひとつ(一つ)なんだけど
それは単なる「1個」ではなくて根源の力の変還で最初のフトマリ「ヒ」粒子が、重統合し(ト)個々粒子が集まった(ツ)もの、それが「ひとつのマトマリ」になったものってことが重要なんです。

ひとつに見えて実は多数の個々粒子から構成されており既にかなり複雑で変化性に富んだものなのです。その「ヒのトツ体」がイキ=生命現象の「根」になると言ってます。

◆「生き」のひとつ根
イキがノして「ヒの重合(ト)集合(ツ)」の根になる

「ヒの重合集合(トツ)体=ひとつ」が生命現象(イキ)の根になる
相互関係にあるのかな?と思われます。「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ」って根源の力が変還して多様な現象化粒子になっていくのですが「イキ=生命現象」の根源・根っこには「ヒの重合」があるってことでしょう。

ただの「ヒ粒子の重合体」ではなく「ネ」としてのエネルギーチャージ性能(性質)をもっているわけです。「ヒ=根源から出入」なので、カム界の力を吸い上げる根になるのでしょう。

◆壱岐のヒトツネ
カタカムナ28首の「イキ」と日本神話の聖地「壱岐」は何か繋がりがあるのでしょう。

「壱岐」はアマ現象界における生命現象化の根源力に通じる「極地」なのかもしれません。いわゆる強磁場スポットとかレイラインなのかも。

=インターネットより引用=

とありましたので、参考までに。

まずは、ウタヒしてみよう!

難しいと感じた方は、ただただカタカムナウタヒを口ずさんでください。28首は現代の日本語でも意味が通じるウタヒです。

先日のメルマガにて、将棋の永瀬名人のことを、長瀬名人と、誤字がありましたことお詫び申し上げます。隣の家の表札も「永瀬」とあるのに、失礼いたしました。

お詫びに本日は、永瀬名人がどうやって名人になったのか、を少しお話ししたいと思います。

祖父から将棋盤と駒

永瀬名人の記事をご紹介いたします。

将棋棋士 永瀬拓矢さん 父の「家系」ラーメンが一番好きです 謙虚な姿に学んだ人生の糧

9歳の誕生日 祖父から将棋盤と駒
9歳の誕生日、同居していた祖父から将棋の盤と駒をもらったのが、始めるきっかけになりました。
祖父は孫とのコミュニケーションの道具として、将棋を思い付いたのでしょう。もの静かで優しく、放射線技師の仕事を引退後、老後の趣味としてたしなんでいたようです。

私もすぐに将棋に夢中に。平日は近所の将棋道場に通い詰め、週末は父の経営する川崎市内のラーメン店でお客さんに水を出す手伝いをした後、店の近くの道場へ行くようになりました。

プライドを捨て、変わろうとした父
父のラーメンは「家系」と呼ばれるとんこつしょうゆ味で、脂の量も調節してくれます。味付け卵やチャーシューも手が込んでいます。父のラーメンが一番好きです。

父は研究熱心で、店で出すキムチの勉強をするため、本場の韓国まで行ったことも。私が10歳前後のころだったでしょうか。その後も10年おきぐらいに、一流とされるラーメン店に弟子入りのような形で修業に出て、家をしばらく空けることがありました。

年を重ねると、誰しも自分の世界を守りたいと思うもの。自分から一歩踏み出し、他の人に教えを請うのは大変な決意が必要だと思います。

でも、父は時代の変化に対応するにはプライドを捨て、自分が変わらなければならない、と考えたのではないでしょうか。

将棋にも共通する部分があります。今の将棋界は強い方がたくさんいて、後輩から学ぶことも多くあります。

父から何か言われたことはありませんが、謙虚な気持ちを忘れず、他の人から学ぼうとする父の姿は、間違いなく、私の人生の糧になっています。

佐藤康光九段に勝利 祖父は病院で

私は今、一人暮らし。実家には祖母、父母、美容関係の仕事をしている21歳の妹、野球部で頑張る高校生の弟が暮らしています。

将棋を教えてくれた祖父は約9年前に病気で亡くなりました。亡くなる直前、私が初めて出場したNHK杯の本戦で、佐藤康光先生(九段)に勝った瞬間を病院のテレビで見て「よかった」と言ってくれていたと聞き、少しは恩返しできたのかなと思っています。

父は67歳。ラーメン店は肉体労働で、いつまで続けられるか分かりません。

最近は母も店を手伝っていますが、今後はここまで自分を育ててきてくれた家族を、支える立場になれれば、という思いがあります。

大学進学を希望している弟の学費は、自分が出すつもりです。どれだけ力になれるか分かりませんが、家族のみんなが不自由なく、穏やかな日常を過ごせればと願っています。

永瀬拓矢(ながせ・たくや)
1992年、横浜市生まれ。2004年、小学6年で奨励会入会、2009年、17歳でプロ入り。2012年、若手棋士らを対象とした新人王戦で優勝。2019年、初タイトルの叡王を奪取後、3連勝で王座のタイトルも獲得。二冠となり、八段に昇段した。将棋への厳しい姿勢から「軍曹」の愛称がある。

=インターネットより引用=

つながりを感じられる場所

永瀬拓矢さんのご両親が経営する ラーメン店「川崎家」は、神奈川県川崎市川崎区大島上町17-4にあり、JR南武線「小田栄駅」から徒歩12分の場所に位置しています。また、榎町にある「川崎家 榎町店」も経営しており、こちらは営業中です。

「川崎家」の本店は、2022年5月時点で休業中とのことですが、榎町店では永瀬拓矢さん関連のグッズが飾られており、将棋ファンにとっても特別な場所となっています。また、味も評判が良く、食べログの評価は2022年5月時点で3.47でした。

ちなみに、川崎家は家系 ラーメンの名門「本牧家」で修行を積んだ永瀬拓矢さんのお父さんが独立して始めたお店です。住所は神奈川県川崎市川崎区榎町6-2で、最寄り駅は京急本線「京急川崎駅」から徒歩7分、またはJR「川崎駅」から徒歩12分ほどです。

店内には永瀬拓矢棋士に関するグッズが展示されており、彼とのつながりを感じられる場所としても知られています。

=インターネットより引用=

合理的で実用的な選択

スーツを着る理由

多くの棋士がタイトル戦では和服を着用する中、永瀬拓矢棋士はスーツを選ぶことで知られています。加藤一二三九段も同じくスーツでタイトル戦に臨んでいたことがありますが、この選択には賛否があるようです。
しかし、調べてみると、タイトル戦でスーツを着てはいけないという決まりはありません。日本将棋連盟関西本部によれば、プロ棋士に対する「ドレスコード」の明確な規定はなく、「常識の範囲内」で各棋士に任されているとのことです。伝統を重んじる将棋界では、ラフすぎる服装は避けるべきという風潮もありますが、スーツの着用自体には問題がありません。


実際、スーツでの対局に関して永瀬拓矢棋士自身が特にコメントをしているわけではありません。しかし、昔ながらのファンの中には、タイトル戦では和服がふさわしいと考える人も多く、スーツ姿には賛否両論があるようです。

実際のところ、タイトル戦は長時間に及ぶことが多く、休憩やトイレなどの場面を考慮すると、スーツは合理的で実用的な選択と言えるかもしれません。多くの棋士が師匠から贈られた和服や、勝負服として和服を着用する中、永瀬拓矢棋士や加藤一二三九段のように、実用性を重視する棋士もいるということでしょう。

=インターネットより引用=

自ら高校中退を選んだ

高校は中退している

永瀬拓矢さんの学歴は、高校を中退されたため中卒となります。驚くべきことに、高校に入学してわずか2日で退学を決断したそうです。

その年、永瀬さんは奨励会の三段リーグに到達しており、プロ四段の一歩手前まで来ていました。そのため、将棋に専念するために高校を辞めたのでしょう。さらに驚くべきは、この退学を両親に相談せず、事後報告だったという点です。

小さい頃から手がかからない子供だった永瀬拓矢さんは、自分にとって必要ないと判断し、自ら高校中退を選んだのです。幼少期には習い事が続かず、不器用なため勉強も得意ではなかったそうです(これは意外ですね)。その影響もあり、いじめに遭うこともあったそうですが、将棋が彼の居場所となっていました。
プロ入り後は、次々と昇級を果たし、2018年には初のタイトル「叡王」を獲得。さらに、2019年には「王座」も獲得し、トップ棋士の仲間入りを果たしました。

=インターネットより引用=

生活の中心は常に将棋

性格はストイック

永瀬拓矢さんは、将棋の強さだけでなく、そのストイックな性格でも知られています。

まず、「お正月の概念」をなくしてしまうほど、365日ほとんどの時間を将棋に費やしています。トップ棋士となった今も、勉強を怠ることなく、生活の中心は常に将棋です。日々、棋士たちと研究会や対局(VS)を行い、藤井聡太さんとも切磋琢磨して腕を磨いています。
唯一の趣味は漫画を読むことで、特に少年ジャンプを愛読しているそうです♪

このストイックな性格は、お父さまから受け継いだもの。お父さまが ラーメン店を開業した後、さらに腕を磨くために他の店で修業を積む姿を目の前で見て育ったことが、永瀬さんにとって大きな影響を与えました。その経験から、何事にも「努力が必要」という考え方を持つようになったのです。

お父さまが背中で示す教育をされたことで、永瀬拓矢さんは素晴らしい将棋棋士として成長されたのではないでしょうか。

=インターネットより引用=

とありました。

天才とはこういうものだと、姿を持って示している永瀬名人。これは少し前の記事なので、父は67歳とありましたが、お父様は現在73歳で、現役でラーメン屋さんを経営されています。

ストイックさはお父様譲りなのでしょう。何かを極める精神が半端なく凄い。天才は、高校中退している方が多いですが、藤井聡太さんも高校に入ってすぐにやめたとか。両名中退の理由は、必要ないと。

確かに現在の教育は、生きるために必要な事は教えていないので、こういった天才の域にいる人たちには必要ないのかもしれません。将棋一本で生きていく決意が伺われます。

将棋士は、寝ても覚めても将棋のことしか頭にないそうで、永瀬名人もお父様に聞いたらずっと将棋盤に向き合っているとか。

しかし、家族思いの謙虚な姿も流石です。お父様の後姿をお手本に、お母様の愛に包まれ、スクスクと育たれたのでしょう。

まるでカタカムナ28首そのもの

イキノヒトツネは、ご両親のイククヒノツチ カグナツチに包まれ、イハサクネサク イハツツヌヲされ、またイククヒノツチ カグナツチとなり、循環していくのですね。

長谷川淨潤名人とコラボセミナー

今日は、その永瀬名人には将棋では絶対に勝てないという長谷川淨潤名人とのコラボセミナー。こちらは氣の名人。

淨潤先生は、僧侶であり、神官であり、名誉医学博士であり、水博士であり、温泉ソムリエ、ピアニストでもある多彩の氣道協会の主宰。ほんとに天才、超人の域にいらっしゃる方。

どんな化学反応が起きるか今から楽しみです。沢山の方にアーカイブ参加のお申し込みをいただき、ありがとうございます。

今日も楽しんで来たいと思います。

講師が単独講師でデビュー

また同時に、本日は岸和田でもカタカムナウタヒの会がありがとうカフェで開催されます。本日は、藤井志津代講師が単独講師でデビューします。皆さま応援してください。

カタカムナ講師教本が仕上がる!

素晴らしいカタカムナ講師教本が仕上がりました。これがあれば、金太郎飴のようにカタカムナバイブレーションの真実が誰でも伝えられる優れもの。勝俣社長が命がけで作ってくださいました。

明日から奈良で講師育成が始まります。皆さまもカタカムナバイブレーションを起こしてみたい方はどうぞ手をあげてください。バイブレーションを起こすと、更にカムナガラが降り注ぎます。

明日は、奈良のカタカムナウタヒの会。11日は芦屋六麓荘カタカムナウタヒの会。13日は岡山高梁カタカムナウタヒの会。と続きますので、何処で皆さまとお会いできれば嬉しいです。

今日は皆さまと28首を響かせながら、イキノヒトツネ、たったひとつの種が、イククヒノツチ、成長して生きた土になり、カグナツチ、肥えた土になる。イハサクネサク、植物が芽生え、イハツツヌヲ、生命が成長するエネルギーを振り撒いていきましょう。

台風も去り、穏やかな朝です。今日も一日、爽やかな、晴れやかな一日をお過ごしください。

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